習慣について

習慣付けするのに、最低でも3週間ほど必要なのだという。

 

習慣が思想を作り、逆に思想(信念)は習慣付けの意思を与える。また、思想はその人の行動を生み出す。行動はその人の、その人たる特徴を際立たせるもの。自己を確立するための第一歩は、思想であり、習慣だ。

 

習慣づけには、脳の記憶定着に関連していると考えている。

記憶に関する統計データで真っ先に思いつくのはエビングハウス忘却曲線だと思うが、これは一度記憶したものを再記憶する際の時間短縮率を図ったもので、記憶しているものの割合を図ったものではない。データを探しても、人間の記憶率に関する統計データは見つけられなかったが、私はほとんど対数関数や x^1/3 といった関数になると確信している。

 

一回100%記憶すると、40%程が長期記憶として残り、2回目に100%記憶すると、60%、3回目で68%、20回目で95%(数字は根拠のない適当な数字)といった塩梅で、回数を重ねると脳はその刺激を恒常的なものとして受け止め、その刺激を前提とした考え方をするようになる。それを習慣付けと呼んでいるんだと思う。

 

個人的に重要なのは、習慣付けされた脳の信号は当たり前のようになり、以降は思考の礎になる点だ。習慣付けは皆気づかずとも毎日脳内で行っており、何らかの思考の基礎付けを行っている。また自分にとって当たり前だと思っている思考回路は、過去に自分が行った習慣付けの名残だ。各々でどうしても習慣付けが上手くいかないときもある。それは自分の利き手からはるか遠くにあって、記憶の定着に苦労しているからだ。

MBTIについて

用意された16人のモデルと自分を比較することで、自己理解を深めるというツールです。

今後MBTIに関する投稿を行う際には、原則や理念から外れないように、こちらの記事にまとめていこうと思います。

 

・8タイプの心理機能の存在

・幼いころより心理機能の利き手が決まっていて、年齢を重ねることで機能を開花させていく

・すべてのタイプの心的機能が誰にでも備わっており、誰にでも潜在的な力が備わっている

・各タイプの相性

が前提となって理論構築されています。

 

タイプだけに基づいて、職務配置、チーム分け、キャリア決定、または心理療法的処置がとられていることは間違いである。個人の発達における指針のために利用されるべきものである。

「MBTIへのいざない」より引用

謎機能 Ni(内向的直観)について

Niは物事を分類する機能です。私が持っている感覚としては、オブジェクト指向プログラミング言語のClassに近いです。

 

ある概念について、自分なりの解釈を作っていく感覚。本質的にどんな構造をしているか。どんな枝を持っているかについて、対象に触れる頻度が多くなればなるほど理解が深まり、クラスの持つ属性を追加していきます。また、2つのClass間の関係性をも知らずのうちに頭の中で構築し、対象を見ただけで自分の中に持つClassの概要やいろはを瞬時に思い出します。

 

また、頭の中の概念は事実に基づいて形成されます。「一般的にはどんなことが言えるか」という疑問を持って事実を解釈するのです。しかしながら、ある事実について、脳内のどんな概念に近いか照らし合わせる時には、たまに事実を無視してしまいます。これはこうでないと辻褄が合わないという先入観から来ています。

 

Niを、とりわけ他者が理解しにくいものにしているのは、対象の種類によるでしょう。Niによって分類分けされる対象は主に人間の心理、礼儀礼節や道徳、全体の利益、評価基準、完全な効率といった、目に見えないものばかりだからです。Niがどのように関与しているか、主観的にも客観的にも評価しづらい。

 

Niを主機能にしている方は、トラタカ(Trataka)瞑想をおすすめします。毎日多くの情報を拾い続け、その処理に追われる昨今、自分でも気づかないうちに情報と自分を照らし合わせるのを忘れてしまいます。一点を見つめて特定のテーマについて思い出してみましょう。一度触れた事実が浮かんでくるのであれば、自分の中で落とし込みの完了した内容ということです。浮かぶイメージに任せて内省してみましょう。あの時のあの言動は正しかったのか。将来的な危険はないのか。結論の出たものが全て、自分の意見となります。Niを主機能にしている者にとって、内省は一番の強みであって、基礎能力です。幼いころから自分の興味のあるテーマについて調べ考え、基準を落とし込んできたかと思います。

アウトプットが重要なこの世の中です。せっかく取り込んだ基準と知識をアウトプットする形に変換するために内省が必要です。Niユーザーはおそらく自分の中の判断基準を話しません。それゆえに自分の意見を述べても論理飛躍があるとして問い詰められるか、却下される可能性があります。万人が、そしてあなた自身が納得するよう説明できる形になるまで内省しましょう。

 

Niを第一機能に持つのはINFJとINTJ。

両者はFeとTeを第二機能に持ち、幼いころから他人の表情から善悪を読み取ったり、信用の有無についての感覚を磨きます。

 

Niを第二機能に持つENFJやENTJは、シンボルや概念についての評価を、周囲の気持ち(Fe)や規則(Te)によって行います。

歴史は繰り返す

"学ぶ"とは真似ることである。元の語源は"まねぶ"だそうだ。

 

自分の考えが浮かばないとき、自分の進む方向が分からないとき、まずは学ぼう。

友達に学ぶ、家族に学ぶ、師に学ぶ、上司に学ぶ、社長に学ぶ、自分に学ぶ(難しい)、自然に学ぶ

尊敬する心、同志を愛する心

学ぶ際には学ぶ者の心、教える者の心が大切だ。

学ぶ者が教える側を尊敬する心を持っていなければ、反対に教える者が学ぶ者を愛していなければ、両者の間に学ぶ環境は整わない。

学ぶ対象を尊敬できないとき、教える者を愛せないときは、一度自分の置かれている状況を見直してみるのも大事かもしれない。

私について

※私に関する内容は、全てこの記事にまとめ、字数制限を除いて新しい記事を乱立することは防ごうと思います。

 

最近はMBTIという言葉を私生活でも耳にするようになり、少々驚いています。

ここまで知名度が上がった今なら、明け透けにしても問題ないかなとは思っています。

私がMBTIに出会ったのは、2016年頃で、亡きサイト「MBTI性格タイプ論の視点から世界を覗こう」を始めとして色んなサイト、本を漁りました。

 

ブログの題名通り、診断結果はINFJです。INTJやINTPのように見られることも多々あります。

またあまり詳しくわかりませんが、エニアグラムの結果を載せておきます。

3 タイプ①完璧主義者
9 タイプ②献身家
3 タイプ③達成者
4 タイプ④芸術家
9 タイプ⑤研究者
8 タイプ⑥堅実家
1 タイプ⑦楽天
4 タイプ⑧討論者
8 タイプ⑨仲介者

 

~~ 性格について ~~

私は私生活ではあまり大っぴらに話しません。

自分が考えていること、思っていること、興味のあることは大抵的外れ、マイナーなことが多く、良い反応をされることが少なかったからです。

仲が良い方とはある程度、(特殊な)趣味で盛り上がれますが、電車内や店内など第三者の目がある場では、それすらも抑えます。

初対面の方には何も開示しないので、取っ付きづらい、怖い印象を与えると思います。

興味のあることに多大な時間を使って調べ考えて、知識を蓄えるのが基本スタンスですが、納期が決めてあるなど早さを求められる場は苦手で、本質を掴めないまま中途半端な仕事で終わらせることにかなり抵抗があります。個人的な経験でも、短時間で仕上げた仕事が評価されたことはほぼありません。

このややこしい性格を呪い、大多数の一人になれたらどんなに気が楽だろうかと20年程常に悩んでいます。

 

~~ 私生活について ~~

長年続けた会社員生活に終止符を打ちました。労働のために時間を使うというデメリットと、その在り方にいよいよ我慢できなくなりました。

残念ながら、私の能力や思想は会社員を続けていく上で不向きと言わざるを得ません。

 

新陳代謝と足腰に不安を覚え、20歳から朝ウォーキングを続けています。白湯が美味しく感じるので、食費は抑え気味です。

無類のお菓子好きなので、少しでも多く間食をするために健康に気を遣っています。

 

~~ 思想について ~~

就職や進学を機に自己についていつも以上に考えるのですが、どうも掴みにくいのです。

自分が一体何をしたいのか。目標に手を伸ばすには何を勉強すればいいのか。どういった会社に入るのか。どう対策するのか。そういった論理展開で、すべての生徒に合理的な進路提案をするという目的があるのでしょう。しかしながら私が興味を持っている数学、心理に直結する仕事が直ぐに思い浮かばず、いつもそこで足踏みするのです。この辺りは高校1年生くらいからほとんど答えが出てなく、もう夢を見るのはやめなさいという年齢まで騙し騙し過ごしてきました。

 

私は幼いころから、自分の才能について考えてきた。自分の情熱や時間を全て充てられるものがあれば、それに専念できるとしたら、どんなに幸せだろうと常々考えていた。

 

私は美しい品物や構造物が造られる過程を見てきたわけではないが、完成品を見ていつも打ちひしがれる。ああ、自分個人だけでは努力しても辿り着けない域なんだと。組織の努力の成せるスケールの大きさには、雄大な景色を見るときと同じくらい圧倒される。

 

大多数の人が抱える「生きづらさ」。上手にその課題に立ち向かえば自己実現の道を見つける足掛かりになりますが、日々の忙しさにかまけて目を背けてしまう人も少なくありません。私の今後の目標は、その原因を探り、ちょっとした不安の解消の手助けをすることです。

「なんとなく生きる」、「騙し騙しやっていく」というと凄く柔軟性があり、しなやかな印象がありますが、残念ながらその心持で乗り切れる情勢ではなくなってきています。30年後のことを考えて、自身が身を置く組織自体が存続できているのか、自分自身が退職後に進む道に靄はないか、納得できるか。全ては自己理解を基に解決口を見つける課題だと思います。

 

~~ 過去について ~~

覚えていることは少ないですが、書いていきます。

・高校まで

小学校入学頃から記憶があります。よく旅行に連れて行ってもらいましたが、兄弟姉妹とはしゃいで車の中で爆睡した記憶しかありません。当時からひどい偏食で、嫌いな食べ物はとても多かったです。友達は多く、行事の参加に困ったことはありませんでした。成績も良く、親や教師の言いつけをよく守っていたので、おそらく聞き分けのいい子供と思われていたでしょう。親や社会からの縛り付けが重く感じ、早く一人前の大人になりたいと思っていました。ぼーっと一点をみつめることが好きで、答えのない道徳的な問題について考えるときはよくそうしていました。夢は数学の研究者でした。自分なりの考え方や願望などは特になく、美術方面の才能はからっきしでした。理由のわからないことで楽しそうにしている、いじめをしている友達のことは何だろうとおもっていました。特に初めて違和感を覚えた場面はエピソードとして今もなお覚えています。いじめをする人の心理がわからず、理由を聞いてもなお納得できませんでした。身近に本当の意味で気の合う友達が少なく、自分がもう一人いたらいいのにと常々思っていました。初めて敵意を向けられる怖さと、集団規範を感じたのはこのころです。普段は友達と外で遊ぶことが多かったです。周囲の同級生は、皆少々の色合いは違えど、基本的に規範を守るという意識は共通していたように感じます。人生で初めて後悔したエピソードを強く覚えています。体育の授業のとき、マット運動の全体披露までに一つの技が習得できず、結局挑戦すらせずに終わってしまいました。この時初めて、逃げた悔しさを認識しました。

中学には受験勉強をせずに入学しました。詰め込み教育に特に疑問を感じることなく覚えていき、学業には自信がありました。初めて触れた数学の証明の単元に感動し、のめり込みました。たまにぼーっとする癖は抜けず、他の授業の時間も証明問題を考えるようになりました。部活動は友達が多い運動部に所属しました。運動神経は並以下で、1年生のころ貰ったレギュラーも3年生のころには剥奪されました。周囲の同級生と比べると自主性はかなり遅れを取っていました。小学校のころと比べて、私はこう考える、こうであるはずだ、こうしなくちゃ嫌だという周囲の変化が顕著に表れたように感じて、皆が一個人としての色合いを強く出し始めている感覚がありました。大人も含めて同級生には自分と似ている人は見当たらず、結果かなり内向的になり、明らかに避けられることもありました。周囲の同級生は、受験や将来を意識し、具体的な進路を決定している人もいれば、ルールに不満を覚えて、成長した体躯に任せて反抗する人も見受けられました。

・高校時代

進学に伴って、将来を考えるようになりました。

大学時代

社会人以降

嫌いな食べ物はありません。全て美味しくいただきます。お菓子が別腹なだけです。

このブログについて

初投稿です。

 

思ったことを書いていきます。

思ったことをどこかに書き留めていないと、零れてなくなってしまうので、私用の備忘録として残しておきます。

特に、頭の中で湧き上がる命題を主として載せます。

簡単には証明できるものでもないし、証明自体不可能なものばかりかもしれませんが、少なくとも私にとっては無駄にはならないかなと思っています。

 

なお記事の多くは私個人の主観に依るところが多く、具体的なデータなしに投稿しています。

 

ブログは追記型としてタグもしくはフォルダでの記事管理を強く出そうと考えています。

今考えているのは、自分がたまにひらめく命題と、その周辺の知識体系を、抽象的(親カテゴリ)から具体的(子カテゴリ)にまとめようと思っています。

見づらかったら、都度変更予定です。